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March 27, 2007

25. 本当は何がしたいですか?

コーチングでは、「答えはあなたの中にある」その答えを表に導き出すために、質問を効果的に使います。その中でも特に重要かつ、強力な代表的な質問に、
『本当は何がしたいですか?』があります。そして、それに続けて、『そのためには何ができますか?』と会話が流れていくわけです。

もちろん、こうした質問が力を発揮するためには、まず、クライアントと良好な開かれたコミュニケーションが取れていて、かつ、現状が明確化されている必要があります。例えば、気分転換したいとき、とは具体的にはどんなときか、ということです。そこで、それは、たとえば、パソコンで仕事の報告書などの文書を作っているときだ、とわかったとします。
それでは、その状況につづけて、この質問を適用してみましょう。

***

『どんなときにタバコを吸いますか?』
『気分転換したいときです。』
『具体的には?』
『たとえば、パソコンで仕事の報告書などの文書を作っているときです』
『なるほど。本当はそんな時、何がしたいですか?』

さあ、どんな答えが返ってくるでしょうか。
それは、タバコに関する意識をリセットする内容の答えでしょうか?

>> 昨日より子供たちは春休み。今日から伊勢志摩へ旅行します。連載もちょっとお休みしますね。


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March 26, 2007

24. コーチングが禁煙に向かないわけ

そのときの私の答えは「うーんと、それは、だいたい、どの受験生も、本当はどうしたらよいかとか、どっちがいいかとか、だいたいわかっていて相談に来るんだよ。だからね、それを、よく聞いてあげて、それを応援してあげればいいんだ」というようなものでした。もちろん、当時1980年代前半は米国でもまだコーチングに関する本が出始めたころで、私もコーチングのことは全く知りませんでした。しかし、私は実質的に同時からコーチングをしていたことになります。

さて、それでは、なぜ禁煙にはコーチングが向かないのでしょうか。それは、どんなに考えても、喫煙者が自分自身で、「タバコの快楽」の本質に気づくのは困難だということです。

タバコの快楽は、ニコチンが低下してくることによる、禁断症状を喫煙によって解消することで得られるのですが、このニコチンの減少はきわめてゆっくり起こるため、そもそも、禁断症状があることに気づきにくいのが大問題なのです。たとえば、

『どんなときにタバコを吸いますか?』

『気分転換したいときです。』

という会話を考えてみましょう。


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March 22, 2007

23. 答えはあなたの中にある?

コーチングのキャッチフレーズとして有名なものに、こんなものがあります。
「答えはあなたの中にある」

ある課題に直面しているクライアントがいる場合、そのクライアントには、本来的にその仮題を乗り越える力が備わっており、その答えは、クライアント自身が知っている。コーチは、その力を引き出すだけだ。というのです。

私はこの言葉を聴くたびに、大学時代に河合塾で、チューターをしていた頃のことを思い出します。チューターとして、高校生たちの進路の相談にのったり、生徒と父母と三者面談などをしていた私に、母が不思議そうに、「教科を教えるならともかく、どうしてそんなことができるの?」と尋ねたことがあったのです。私は、その質問自体にちょっとたじろいだのですが、確かに、大学入試というその人の一生を左右しかねない問題を、いくら、つい最近までは自分が受験生の立場だったとはいえ、なぜ自分がやっているのだろうか、やってしまえるものなのか、という質問の趣旨も、もっともだと感じました。母はきっと、無意識に大きな責任を背負い込みかねないことに手を出している、私のことが心配になったのでしょう。実際、理系から文型に変わろうかどうしようか、とか、そういう「一生もの」の?悩みに日常的に接していました。

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March 20, 2007

22. コーチングの限界

コーチングは本当に、いろいろな心理学や、行動科学の「いいとこどり」のような領域です。アメリカ的な良い意味でのプラグマティズムの結晶のように感じるのは私だけでしょうか。その範囲は、本来のコーチングから、大きく逸脱して、認知療法、NLP、禅、はては、風水まで取り入れている、といったら驚くでしょう。しかし、特にアメリカでのコーチングの専門家の著作は非常に幅の広い方法論を取り入れています。

さて、しかし、コーチングはまた、自分たちの守備範囲を、原則として、健康な人がより元気になる、という部分に厳しく限定していることも事実なのです。コーチの倫理規定として、カウンセリングが必要なケース(精神的な問題を抱えている場合)は、専門家を紹介する、ということがはっきりうたわれており、コーチの養成課程でも強調されています。

その、「健康な人」を扱うコーチングが、向かないとされている分野が2つあります。一つは恋愛で、もう一つが、禁煙を初めとする「依存症」です。

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March 19, 2007

21.生活の工夫

依存症とともに生活を送っていかなければならない。そこに、自助組織としての、役割が生まれるのです。病は治らなくても、日々送っていくいろいろな工夫や、社会資源の活用の仕方を教えあったり、悩みを打ち明けあったり、励ましあったりして、少しでも生活を病気に負けないで過ごすための助け合いの組織です。治らない病気でこそ患者の自助組織が活躍します。在宅酸素を受けている人の「低肺の会」、障害者の子供を抱える親の会、難病の患者会などです。

 彼はそんな依存症治療をめぐる現実に触れながら、
「だから、リセット禁煙は正直すごいと思った。これをたとえばアルコール依存とかに応用できたら本当にすばらしいよね。」と言ってくれました。しかし、私は、専門家から、依存症治療の現実を突きつけられて、改めて厳しい思いをしていました。

 もちろん、依存症に無力なのは精神医学ばかりではありません。コーチングも同じです。

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March 16, 2007

20. 患者の会のある疾患

その瞬間、私は、薬物中毒の少年少女を救うべく、夜回りを続けている水谷先生の記事を思い出しました。薬物を専門とする精神科医は、日本中探しても、ほとんど皆無だ。と書いてありました。そして、その代わりとして、ダルクのことなどが紹介されていたのです。

もちろん、急性期の暴れたりする時期に、沈静させるなどの医学的介入はできるでしょう。しかし、その後の薬物依存の再発や、フラッシュバックの治療は専門的にも困難で、ほとんどない。患者や家族ともに悩むことぐらいしかできない、という厳しい現実があるのです。

そもそも、昨今、精神科医は精神疾患を患う人の急増により、深刻な人手不足に陥っており、彼らは、彼らの限りある時間を、できるだけ社会に有効に活用するために、いきおい、治療可能な疾患を優先せざる得ないのです。つまり、有効な治療法が確立していない、依存症に割く時間をとる余裕がないのでしょう。

 しかし、薬物依存者自身や、その家族は、それでも生きていかなければなりません。

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March 15, 2007

19. 断酒会とダルク

 私の同級生に、ある大学の精神科の教授がいます。以前その大学の招きで、学内の職員対象にリセット禁煙の講演をしたことがありました。私は、例によって、リセット禁煙のカウンセリングを、実際に皆の前で受けてくれる人を探しておいていただいて、リセット禁煙のライブも行いました。
 さて、その講演のあと、2人でざっくばらんに意見交換をすることができたのですが、精神科医として、依存症の治療という観点から、リセット禁煙に何かアドバイスできないか、とたずねる私に、彼はこんなことを言いました。

 「我々、精神科医は、うつ病や、パニック障害などの不安障害は、まあ、だいぶ治せるようになってきた。統合失調症も一回目はなんとかなる。しかしね、依存症はよう治せないんだよ。」

 私も内科の臨床医であり、これまでに、様々な精神疾患の合併症例を経験し、また、精神科医とも一緒に治療に当たってきた経験は少くないのですが、それでも、そこまで、本音をストレートに話してくれる人は始めてでした。しかし、感謝しつつも、目を白黒させている自分に対して、彼の語った次の一言は非常に説得力のあるものでした。

「だから、断酒会や、ダルク(薬物依存者の自助組織)にまかせている」

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March 13, 2007

18. 『依存症』という言葉

『先生なぜ止められないのですか?』
『ニコチン依存症だからだよ。』

実は、この会話は、
コメントにもいただいたように、

『どうして mixi 止めないの?』
『mixi 依存症だからだよ』

といっているようなものです。『依存症』という言葉の中に、『止めらない状態である』という意味が含まれているからややこしくなるわけです。

それで、喫煙者は、『依存症です』といわれると、「いやいや、自分の場合は、そこまではひどくない」、と自らの「依存症」を否定して、まだ大丈夫、と吸い続けたり、逆に、「依存症だからどうせ止められない」と、禁煙を放棄する言い訳にしたりしてしまうのです。

特に、自分は依存症ではない、「いつでも止められる」と考えているスモーカーに禁煙してもらうことは、非常に難しいといってよいでしょう。

とまあ、いろいろな理由から、この先できるだけ『依存症』という言葉を使わずに、話を進めていこうと思います。

 しかし、その前に、もう少しだけ、『依存症』の、今度は治療に関する精神科医の本音を紹介したいと思います。自分にとっても、衝撃的だった、しかしいろいろななぞが解けて、納得せざるを得なかった話です。

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March 10, 2007

「依存症」という言葉の功罪

WHO国際疾病分類ICD-10によると、依存症の診断規準は次のようになっています。
何かの依存に陥っているかどうかは○○の中にその物をいれてあてはまるかどうかで判定されます。

1.○○したいという強い欲望、あるいは切迫感がある。
2.○○の開始、終了、あるいは○○量をコントロールすることが困難である。
3.○○の禁止に伴い離脱症状(禁断症状)が出現する。
4.耐性(量がだんだん増えていくこと)が認められる。
5.○○のため、それに代わる楽しみや興味を次第に無視するようになり、○○している時間が長くなる。
6.有害な結果が起こることが明白だという根拠があるにも関わらず、依然として○○する。
◇判定基準◇1ヶ月以上にわたって上記6項目のうち3項目以上を満たす。

なかなか的確な、基準ですね。よく状態を表しています。

しかし私は、「依存症」という言葉に含まれる不思議な魔力を感じています。
依存症という言葉を使えば使うほど、独力で禁煙するのが難しくなっていく。といったら、言いすぎでしょうか?
 次の会話を読んでどう感じますか?

『先生なぜ止められないのですか?』

『依存症だからだよ。』

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March 08, 2007

16. 悲しい学者の性

 医学部の学生だったときも、研修医のときも、私が一貫して、教育されてきたことは、患者さんの前では、「わからない」と言うな!ということでした。理由は、「患者さんが不安になるから」です。

 実は、この患者様への「思いやり」が、臨床の現場で、今日大きなねじれを生んでいます。
つまり、医師は、本当にわからない場合でも、「わからない」といえなくなっているのです。一昔前ならば、すべてお医者様にお任せします。の父権的なパターンが主流だったので、うまくいっていたのかもしれません。しかし、現在は、患者の側もインターネットその他で非常に多くの情報を持っているし、また、マスコミ報道などで、医療過誤の問題にも敏感になっている。

変な話、医者が「わかっている」といえば言うほど、患者は心配になる、ということすらありうるのです。しかし、かといって、わからない、と本当に頼りなさそうにするわけにもいかない。そこは最低でも、「わからないけれど、そこは医者としての判断として、こうだと思う。その自分の真剣さ医者としての誠実さを信じて欲しい」というところで勝負しなくてはならないのでしょう。

はっきり言って、「風邪ですか?」と問われて、「そうです。」と100%言い切れる医者などいないのです。ですから、「風邪です」と言い切れば言い切るほど、患者は心配になる。ということにもなるのです。なぜなら、ちょっと考えてみれば、風邪とよく似た症状で始まる病気は無数にあるわけで、ということは、「風邪です」と言い切るためには、それらすべての病気ではない、と言い切ることに等しくなってしまうのです。そんなこと人間にできるの?

話が、大幅にそれてしまいましたが、そうはいっても、今までの歴史の中で、医師は、原因不明の病気でも、それらしい名前を付けることで、患者さんを心配させないようにしてきました。「突発性難聴」「本態性高血圧」「後天性免疫不全症候群」これらすべては、かつては原因不明の病気でした。しかし、原因不明とはせずに、そういう名前にしたのです。

さて、それでは、依存症とは何でしょうか?

医者はわかっていてこの言葉を使っているのでしょうか。

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March 06, 2007

15. 玉突き式

「スモーカーの見落としていることは何?」

 という質問を聞くと、人は自然と、タバコを吸う結果について、見落としていることを探してしまうのです。因果応報の法則。風が吹けば桶屋が儲かる。時間は過去から未来に流れる。が骨まで染み付いているので、何か見落としていることは、と問われれば、その現在の選択が未来に何をもたらすか、にまず注意が向くのも仕方ありません。そこを敢えて逆に、現在そのもの、もしくは、過去にさかのぼって考えるのは人間の認知の仕組みとなじみにくいわけです。
 
 痛みと快楽の連想体系ができてくる仕組みも、直前に起きたことを原因とみなすわけですから、原因⇒結果の時間経過を基礎にしている点で同じです。これには、さらに、近い⇒遠いの距離的な原則も入っていましたね。
さて、ここまでで、出来事から引き起こされる、感情と思考の関係。その人が何を好きになり、何を嫌いになるかという、痛みと快楽の連想体系の話、そして、人が如何に変化していくのか、について、基本となる考察を進めてきました。そして、最後に、人間の認知の仕組みの弱点について少し触れましたね。
 
 これで大まかな準備は整いました。それでは、いよいよ、タバコをめぐる、依存と快楽のなぞを解く旅に出発しましょう。最初のテーマは、学者の悲しい性についてです。

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March 05, 2007

14. デート

久しぶりに出会った男女がレストランでテートをしています。

会えてうれしいわ♪

僕もだよ(^^)

しかし、そのうち、男の子はふとタバコが吸いたくなってしまいました。しかし、禁煙のレストランなので、彼女に「ちょっとごめん」、と断って吸いに行きました。ふうー。落ちつくなあ。タバコを吸っている間、彼はきっとこんな気持ちですよね。ですから、スモーカーにとってタバコは大切なもの。いつも、手元に持っている必要なものと感じています。

ところが、彼が見落としていることがあるのです。やっぱりタバコを吸うのは、ものすごくそんなことなのです。何を見落としているかわかりますか?

・・・・・・・・・・。

 体に悪いこと?彼女を待たせているということ?お金がもったいないこと?

いえいえ、そんなことはよくわかっていますよね。それ以外にあるのです。何でしょうか。

このストーリーは、リセット禁煙のカウンセリングのイントロ部分で話す内容ですが、この質問に正面から正解できる人はほとんどいません。これは計算されて作られた「答えられないタイプの質問」なのです。

さて、正解を考えてみましょう。いいですか、状況はデート中、しかも久しぶりに会った楽しいデートの最中でしたよね。それなのに、その楽しいデートの最中に、なんだか知らないうちに、「タバコが吸いたい」という気持ちが湧いてくる。そのこと、つまり「吸いたい気持ちが湧いてくること」自体は、幸せなことといえいえるでしょうか?

 そんなことはありませんね。吸いたい気持ちさえ湧いてさえこなければ、吸おうか吸うまいか悩むこともなく、そのまま楽しくデートを続けられたのですから。
・・・・・・・・・。

 では、なぜ、こんなシンプルなことなのに、答えることができなかったのでしょうか。そこには人間の認知の仕組みと、その弱点が横たわっているのです。


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March 03, 2007

14. 日米のビジネスマン

 その間違い探しの絵には、海中の生き物がたくさん描かれていたが、何回やっても、常に、アメリカのビジネスマンのほうが、沢山の間違いをすばやく見つけ出した(神田昌典著『お金と英語の非常識な関係』フォレスト出版)。ところが、主催者はどうしても納得できず、なぜだろうということになった。そのとき、ある賢いやつ(スマートガイ)が、背景も変えてみては、と言い出した。そして、背景の岩や海草も変えるようにしたら、日本人と、アメリカ人の成績は一緒になった。

 ここには、普段は気がつきにくい、両国の文化の違い、ものの見方の違いが見事に映し出されている。アメリカ人が、ハンターのように、新しい魚やら、えびやらを見つけては、「あっ、あそこにいる!」とやっていたときに、日本人は、周囲の岩や、海草にも気を配っていたというわけだ。というか、自分には、最初に問題を出しいていた人も、見事にアメリカ的だったのだと思う。なぜ、獲物ばかり変えるの?!

 このように「違いは何か」という質問一つとっても、具体的な文脈の影響、考え方の枠組みが影響を与えてくる。

 さて、ここで、いよいよ、タバコ問題である。つまり、スモーカーとノンスモーカーの違いについて、皆がわかったつもりになっていることに挑戦していく。手始めはあるデートのシーンから考えてみよう。

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March 02, 2007

13. 視点を変えるには2

そこで、出てくるのが質問である。質問にはたぶん、あなたが考えているよりもずっと大きな力がある。なぜなら、私たちは、すぐにわかったつもりになってしまうからだ。

 西林克彦宮城教育大学教育学部教授に『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』 (光文社新書)という著書がある。彼によると、「わからない」とことよりも、「わかったつもり」でいる事の方がはるかに問題だという。それはそうであろう。彼は「わかったつもり」のパターンを「文脈」という観点から、解きほぐしていくのだが、私は、もっとシンプルに、こんな例をあげてみたい。つまり、よく雑誌などに載っている、「間違い探し」のクイズである。

 なんでもない平凡な絵を見て、私たちは、何となく「わかったつもり」となり興味も起きない。しかし、これまた隣にある同じような平凡な絵を見て、間違い探しをしてみると、ちっとも見つからないのはよく体験することであろう。そして、いろいろ見比べて、新しい発見をしていくわけである。

 ありゃ、ハンドバックの鎖がヘビになっている!とかである。
 この発見を促すのは、もちろん質問である。つまり、
「違いは何か?」。

  実は、この間違い探しクイズについて、日米のビジネスマンで比較調査をした面白い研究がある。アメリカのビジネスマンのほうが常に優秀だったというのである?!

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